2019-01-01から1年間の記事一覧

夕方

黄昏時、僕は近所のドラッグストアへと歩いている。太陽の光はだんだん弱くなり、夜が少しずつ辺りの空気に広がっていく。物の形を縁取る輪郭がぼやけ、薄闇の周囲に溶け込んでいく。こんな時間には物語が似合う。昼間のくっきりとした現実が形を崩し始め、…

映画「ダイナー」

白日夢みたいな映画。意味ありげなセリフなんかはどうでもよくて、映像や音楽を楽しむ感じ。で、こういう映画って案外記憶にずっと残っていたりする。視覚や聴覚を刺激してくるものは強い。玉城ティナが店内を掃除してるシーンはイエローハットのCMを見てる…

「企画展 富本憲吉入門」に活力をもらう

先日、奈良県立美術館で開催されている企画展富本憲吉入門に行ってきました。たまには文化的活動もしないとね。 皆さんご存知のあの(どの?)富本憲吉です。念のために言っておくと、日本近代陶芸の父とも言われる陶芸の巨匠です。これまた有名な陶芸家バーナ…

入江泰吉写真展「花」

見てよかった作品展だった。スマホでも手軽に写真が撮れる時代。素人だっていい写真を撮っている人はたくさんいる。そんな中で見た入江泰吉の「花」の写真展。そこには美しいだけでも、綺麗なだけでも、上手なだけでも、面白いだけでも、センスがいいだけで…

身勝手な主張

今日はとても疲れた。ううん、毎日とても疲れる。生きるって大変やなあ。なんでこんなに大変なんやろ。時々、生きているのがいやになる。 ぼくはろくでもない人間だ。過去を振り返っても過ちばかり。そのうえ大切な人を傷つけた。それは取り返しがつかない。…

安珠写真展 Invisible Kyoto ―目に見えぬ平安京―

見に行こうと思ったきっかけは写真展のポスターの作品だった。人の頭部に蝶を重ねたコラージュの作品。岡上淑子風の作風で面白そうだなと思った。その後、チラシを見て自分の好みよりもポップな感じの写真展なのかなと期待値は少し下がっていたのだが、行っ…

国宝の殿堂 藤田美術館展 (奈良国立博物館)

その小さな器は夜へと向かう深い紫の空のような色をしていた。あるいは夜明け前の濃紺の空の。あるいは深い海中の。器内部の大小の斑文は原初の生命体を思わせる。手のひらに収まるくらいの小さな器の中に、深く大きな広がりが閉じ込められている。奈良国立…

七月

風が青い稲の上を走り去る。太陽が閑散としただだっ広い道路を照りつける。暑さがじわじわと身体を干上がらせる。俺はジンを一口啜る。透き通った欲望が揺れる。女は俺からジンの瓶を奪い、がぶりと飲む。狭い部屋で俺は裸になる。女は裸になる。俺たちは虚…

生きることの困難さ

生きることへの拭い去れない違和感。これはポジティブシンキングとかではどうにもならない。たとえ今僕が望んでいるもの、楽な仕事だとか、好きな服を買ったり遊ぶのに十分なお金だとか、気の合う友人だとか、お互いに好き同士の恋人だとか、が手に入ったと…

ヨルク・シュマイサー 終わりなき旅 (奈良県立美術館)

ヨルク・シュマイサーの作品は、彼の心象の詰まった宝物入れのようだ。貝――彼はこの題材が好きだったようだ。彼は海辺で拾い集めた貝殻を「海岸のかけら」と呼んでいる――や蕾や遺物や様々な土地の建物や自然、記憶、時間、文字、文学的想像などが作品の画面…

くそったれ

神様とか、いないよな。神の計画ってなんだよ。くだらねえ。前世だ、カルマだ、ってそんなものもしょうもねえ。何のためにそんなもんがあんだよ。原罪ってもんがあるなら、それは人の罪じゃなくて神の罪だろ。人間がロクでもないんじゃなくて、てめえがロク…

『ヴァレンタインズ』オラフ・オラフソン

一月から十二月までをタイトルにした十二の短編からなる恋愛小説集。恋愛小説といっても、ここに描かれているカップルたちは幸せなカップルではない。ここにあるのはすべて痛みを伴った愛の物語である。物語は静かな緊張を湛えながら破局へと進んでいく。人…

五月十七日

――何のために生きんだろとか考えへん? ――考えない。そんなこと考えてもしょうがないじゃん。 ――だよな。だから恋とか愛とかあるのかもしんねーな。余計なこと考えなくていいように。 ――そうなのかな。ね、楽しけりゃいーじゃん。

二度目の京都旅行②

今回の旅行ではたくさんの仏像を見ることになった。美しい仏像もあれば、迫力のある仏像や朗らかな仏像もあり、また大して興味をひかれない仏像もあった。が、どの仏像に対しても言えることは、それらに心を動かされるということはなかったことだった。単な…

二度目の京都旅行①

歩くほどに心も肉体も軽くなっていった。ぽっかりと空いた心の空間に温かい何かが満ちていく。それはよく晴れた五月の陽気のせいばかりではなかっただろう。僕は哲学の道を歩きながら今度の旅行で初めて満ち足りた気分になった。それは京都旅行の二日目のこ…

少し疲れているだけさ

岸本タカシは逃げていた。甲高い靴音がもう一時間以上も彼を追いかけていた。彼は逃げきれないだろうと感じて、弱気になっていた。なぜなら、いくら振り返っても足音の主はおらず、逃げようにもどうすればいいのか分からなかったから。いや、疲れのせいだ、…

四月二十七日

夜、ベランダに出ると、春の緑のむせるような匂い。涼しい風が吹いている。僕は五感でこの瞬間を味わう。体の奥から何かが込み上げてきて、目の下あたりがじんとする。生きたい、と僕は思う。世界は美しい、と思う。

四月七日

ポトフの匂いがした。どこから? 自分の体から。え!? たしかに昨夜はポトフ、3杯食べたよ。いや、でも。 いやな匂いじゃないよ、ポトフ。だけど、体から匂ってくるというのは、なんか、やっぱ、ちょっと、違うよね。 (2013.04.07)

四月五日

今日昼ご飯を食べに行ったHという店の白飯は美味しかった。家の近所のとんかつ屋の白飯を僕はいつも美味しいと思うのだが、今日のところもそこに次ぐくらいの美味しさだった。では、どこが美味しいのだろう。 感覚的には「かるみ」ということになる。米がべ…

四月三日

路地で僕は迷子だった。あの大きな爆発。目指していた塔は姿を消し、僕は目的地を見失った。がれき、傷を負った樹木、煤けた壁、べったりと塗りつけられた濃い青空。もう一度、もう一度、もう一度と虚しい祈りが口をつく。歩くよりほか僕には何もできなかっ…

『咲くやこの花――川柳秀句を味わう――』時実新子

時実新子氏の個人誌「川柳展望」から<前号十秀>として選出された句を時実氏の評とともに楽しめる。時実氏の評は鋭く、また文章の切れ味もよい。そういう意味では、これは時実氏の世界観を味わえる一冊でもある。彼女の、句に対する追体験能力の高さもさる…

四月一日

道路の両側の桜並木が満開。それは綺麗で空虚な景色。柔らかい日差し、カーステレオから思い出を呼び覚ます音楽が流れて、これ以上ないくらい薄っぺらな時間が過ぎていく。 誰かが変わらないことじゃなくて、自分が変わらないことに怒れよ。 そこに誰も座っ…

三月二十九日

僕の破片を 君が集めてくれた 君に出会って 僕は全体を取り戻した 君に出会って 僕はもう一度生まれた (2013.03.29)

三月二十七日

「ここに置いてあるの、君の?」 「いえ、僕が来たときにはもう置いてありました。その時、女の子が一人ここにいたけど、彼女のものかは分かりません」 「そう。今度その子に会ったら、私が呼んでたって言っておいて。四年前の続きのことがあるから」 (2013.…

三月二十五日

弁護士とその助手がとあるお金持ちの女性の相談を解決するために屋敷を訪ねた。 彼らは屋敷の庭へ案内され、広い牧場のような庭を見て回る。館内へ戻る間際、弁護士は木の柵の向こうに一匹の豚がいるのを発見した。彼が柵に近づくとピンクの丸々太った豚がや…

三月二十四日

月の光は闇と共にある。太陽の光が闇を払う光であるのに対して、月の光は闇の中で輝く。(2013.03.24)

三月二十三日

今日はカメラ片手に散歩してきました。 近頃は散歩もあまり楽しめず、今日もまた最初は興が乗らなかったのですが、歩いているうちにだんだん楽しくなりました。そんな気持に呼応するように天気もどんどん良くなりました。 写真を撮りながら歩く楽しみは、や…

三月二十二日

人間に祈りが必要なのは、人間が矛盾した生を生きているからだと思う。 一昨日からリップクリーム制限をしています。そんなわけでひび割れた大地と化したマイ唇。めくれる皮をむきたい衝動に耐えながら過ごしています。 人生で大切なものは?と聞かれたら、…

三月二十一日

昨夜の強烈な風が雨を引き連れた黒雲を吹き払ってしまった。眩しいくらいの青空。 こんにちは。 お元気ですか? 今日は突き抜けるような青空の下、僕はブルーな谷の底を散歩しています。 「たとえば人間・たとえば無限」 今から読み始めようとしている本の目…

三月二十日

明かりを消した暗い自室の椅子に座っていた。リビングには親戚が来ているようで、両親と話す声がする。僕たちは誰かを待っている。近いうち僕は女性と会うことになっていた。それは親には内緒だった。僕は久しぶりに自分の人生を生きている気がしていた。誰…