四月五日

 今日昼ご飯を食べに行ったHという店の白飯は美味しかった。家の近所のとんかつ屋の白飯を僕はいつも美味しいと思うのだが、今日のところもそこに次ぐくらいの美味しさだった。では、どこが美味しいのだろう。

 感覚的には「かるみ」ということになる。米がべとついていない。一粒一粒が独立している。その上できちんと全体としてのまとまりもある。それも皆が勝ち組になろうと汲々としているのではなく、かといって余裕のないかつかつの暮らしをしているわけでもなく、一粒一粒が悠々と暮らしを営んでいる。馴れ合わず、まして共依存のような関係に陥ることなく、風通しのよい関係がそこにはある。とまあ、こういう具合だ。このような白飯にはめったに巡り会わない。いい店を見つけた。

 

 神童寺へ桜を見に行ってきた。辺境といえば明らかに言いすぎに違いないが、それでもだいぶ山道を奥へ進み、ここの人たちは毎日の食材をどこで調達しているのだろうといらぬ心配をしてしまうくらいには辺鄙な集落の中に神童寺はあった。

 桜はすでに散り始めていた。中にはずいぶん葉桜となっているものもあった。なんでも住職によると今年はムクドリに食べられてもともと桜の花の付きが良くなかったようだ。一方でヤマツツジがちょうど見ごろを迎えていた。山の斜面に明るい紫の帯を広げたように咲いていた。

 花の後、拝観させてもらった。ここは先ほども書いたように辺鄙なところで、寺自体も大きくはないのだが、国の文化財になっているような仏像や彫刻が多い。それらについて住職が説明してくれるのだが、それがこの前の京田辺の観音寺の住職と同じで、ここでもまた住職の口から聞かされるのは暗記したとおりに喋ってますといった具合の説明なのだ。立て板に水には違いないが、一体その言葉は誰に向けて放たれているの? 完全に向きを間違えてぶっ放されているマシンガンだよ。こちらとしてはもう自分から弾に当たりに行かざるを得ないくらいに興ざめしている。

(2013.04.05)