2019-03-21から1日間の記事一覧

三月二十七日

夕方、父の部屋で本を読んだ。その時間、父の部屋には陽が差して温かい。 自分の部屋は全く日当たりのない部屋。ここはパネルヒーターで冬のあいだ中暖まっているとはいえ、陽の当たらない部屋の空気はやはり冷え冷えとしている。それに蛍光灯の白い光も僕に…

『エルフたちの午後』ジャネット・テーラー・ライル

読み始めたとき予想したよりもずっと複雑で重い結末だった。僕はこのひそやかな雰囲気をまとった物語がエルフという存在を通して二人の少女が心を通い合わせていく物語だと最初思ったのだ。けれど、二人の関係はそう単純ではない。見ようによっては少し前に…

三月二十一日

僕の心の庭はどんなふうだろうか。綺麗に手入れされた庭だろうか。雑草が生い茂った庭だろうか。寒々とした庭だろうか。それともーー。(2012.03.21)

三月十四日

夜の真っ暗な部屋は静かで、時計の針の音は地底から響く地球の鼓動のよう(2012.03.14)

『マリンカーー雪の町の物語ーー』ユーリイ・ヤーコブレフ

僕はこの本を図書館で借りて読んですぐ、アマゾンでこの本を注文した。ぜひ手元に置いておきたいと思ったからだ。(2012.03.14)

読書録(2012年3月)

『パパ、とりかえっこしない?』マンフレート・マイ 『くまのパディントン』マイケル・ボンド 『平成 食の風土記 日本の旅ごはん』向笠千恵子 『ワンポイント聖書』前島誠 『ゆかいなアンギー』ジャニス・メイ・ユードリ

三月五日

考えてみると、僕はずいぶん自分にあまり必要じゃないものを欲しがっている。 僕は自分の小さな世界をまもりながら、大きな世界と関係を築いていけたらいい。(2012.03.05)

三月三日

『ヨーロッパお菓子紀行』相原恭子 『食の歴史 動物もヒトも食べることで自然をつくる』黒田弘行 (2012.03.03)

二月二十六日

僕の魂が飛んでいった夜に。涼しい空気は。(2012.02.26)

読書録(2012年2月)

『デ・ブット魔女さん大かつやく』マーガレット・ライアン 『八十五歳、老いを楽しむ人づきあい』吉沢久子 『日本の食とこころ そのルーツと行方』國學院大學日本文化研究所編 『ちびくろおじさん』レナート・ラシェル

二月二十日

『パパは専業主夫』キルステン・ボイエ 『曲芸師ハリドン』ヤコブ・ヴェゲリウス (2012.02.20)

二月十七日

『東アジアの食文化探検』周達生 『人間らしく食べる 知恵の宝庫ーー食文化に学ぶ』桑畑美沙子 (2012.02.17)

二月十日

人間は年を取るほど創造的に生きるのがいい。(2012.02.10)

二月三日

夕方から、母と春日大社の万燈籠を見学に出かけた。万燈籠の始まる時刻より少し早めに出て、志津香で夕食をとった。母は特製釜めしを、僕は大和地鶏釜めしを食べた。鶏の出汁がほんのりしみたあっさりした味わいの釜めしだった。食事を終えると、ちょうど燈…

二月二日

最近読んだ本。『パウレの夏がはじまる』『ぼくはめいたんてい』『初恋、その他の悲しみ』『ともだちになりたいな』『きらい・きらい・すき』『ぼくの最高機密』「生き方を変えてみたいナ』など。(2012.02.02)

一月十九日

自己嫌悪は自己保身の一つだ。 不完全な球形たちのダンス。 (2012.01.19)

一月十六日

人はいつだって何者かを演じている。演じていないことはありえない。演じている自分を認識している自分というのはあるが、だからといってそれは「ほんとうの自分」というようなものではない。(2012.01.16)

一月十三日

拒否すること、否定することが僕の生き方だった。僕の生活には「したい」ことが欠けていた。あるいは「したい」ことをするだけの力が欠けていたから、拒否を選んだのかもしれない。 自分の回復のために、これからは小さなことからでいいから自分のしたいこと…

一月十日

自己は既に実現している。それに気づくかどうかの問題。 「だがーー」役人は一歩さがる。「あんたたちにとって私がどれほど重要なのか、ということもわかりませんし。あんたたちの芝居に私はふさわしくない」 「ぼくらにはあなたは重要じゃない」と少年はこ…

一月七日

僕は眠っていた。眠っているあいだに雪が降った、と誰かが教えてくれた。雪は白い、とその人は言った。赤い屋根は静かだった。どの家の窓も曇っていた。泥棒は紳士的に仕事を済ませた。星が急いで光った。みんなそれぞれに一人だった。(2012.01.07)

十二月三十日

自分の美しさを信用すること。(2011.12.30)

十二月二十九日

この人は自分が俗物であることに気づいていなかった。でも指摘すれば認めた。「ええ、私は俗物ですとも。でも俗物でない人間なんてどこにいますか? 少なくとも私は自分が俗物だとしても、より良い人間になろうとしています。あなたのように自分は俗物ではな…

十二月二十七日

水は流れる。でも、その水はじっとしていた。自らの美しさをずっとそこにとどめたいと願った。動かなくなった水は濁った。けれど、やっぱり水はきれいだった。悲しい美しさではあったけれど。(2011.12.27)

十二月二十二日

以前よく読んでいたブログの書き手が死んだと、そのブログのコメント欄で知った。前に見たとき更新が止まっていたから、それまで毎日のように書いていた人だったので何かがあったのだろうなとは思っていたのだったけれど。 40代か50代かの女性で、少女の…

十二月二十一日

大人ってのはろくでもない奴ばかりだ。子どもだってそうには違いないけど。それにしたって大人よりはましだ。(2011.12.21)

十二月十八日

はじめ僕は木の上に鳥か猿でもいるのかと思った。けれど音のする方向を見上げても何も見当たらない。音はますます大きくなった。僕は怖気づいてしまった。手に持っていた数枚の紅葉した楓の葉を地面に抛り、急いで林を出た。 少し後で、あれは神様だったのか…

十二月十七日

「単純なことさ。何かをしようとするたびに親からあんな態度をとられてみなよ。それもこっちはまだ親の保護を必要としている子どもの立場で。その子はじきに何かをしようなんて思わなくなる。何かしようとすれば親は不機嫌になるんだから。そして、その子は…

十二月十六日

問題は過去に起こったのではなく、いつも今起こっている。(2011.12.16)

十二月十三日

親と子の関係において、子に責任があるということは僕にはほとんど考えられない。勝手に産んだのは親のほうなんだから。 精神的に自立する以前の子どもは、親もしくは養育者の無意識を映し出す鏡のようなものだ。子どもの問題は、すなわち親の問題だ。ところ…

十二月七日

アダルトチルドレン系の考え方は確かに分かりやすいし、それなりに役にも立つのだけれど、最近の僕は過去のことを考えるのとは距離を置きたいと思っている。それよりも今ここで生きられている関係のほうに興味が移ってきたから。 親子の問題を見ているだけで…