捨てた日記のこと

 また捨てた日記のことを考えている。なんとなく思い出せたり、推測できたりすることはある。中学生の頃のノートには、善や悪といった言葉や、孤独や精神といった単語が使われていただろうとか。でも、今では思い出せなくなったことのほうこそ、僕は知りたい。家出を試みる前はどんなことを考えていたか、どんなふうに生きたいと思っていたか。高校一年の頃のノートには焦りがいっぱいだろう。大学時代のノートには今では忘れてしまった展覧会の記録なんかも残っているかもしれない。授業に出ずに京都御苑のベンチで過ごしながら書いたことや、空き教室で書いたこと。

 過ぎ去った時間はどれもこれも神話的だ。ただ通りを歩いていただけの記憶がどうしてこんなに切なく思えたりするのだろう。この、大学を卒業してからの日々も、生活が変わればまた懐かしい日々の一つになっていくのだろう。どんなに平凡な日々もまた二度と戻らない時間に変わりないから。(2011.09.09)