日記のこと

 最近、このブログに書いているのは今から数年前の日記からの抜書きである。なんでこんなことをしているのかというと、ここに書いてしまって、それからもうこれらの日記は捨ててしまうつもりだから。何週間か前に部屋の大掃除をして、その一環でこれらの日記も捨ててしまうことにした。

 そもそも僕が日記を書き始めたのは、中学生の頃だ。その頃、太宰治の『正義と微笑』という日記体小説を読んで、自分も書き始めた。その頃の日記には煌めく文章がいくつも記されていた――もちろん、それだけでなく単なる独善や傲慢もたくさんあった――のだけれど、もしも家族のだれかに読まれでもしたら不都合なことや彼らを傷づけてしまうかもしれないことも書かれていたので大学生になってしばらくしたときに燃やしてしまった。大学生時代にも書いていたが、どんなことを書いていたのかはよく覚えていない。その日記も、もうない。同じような理由で捨てたのだろう。それでも、懲りもせず僕はまだ日記を書いていた。今このブログに書いている日記は、僕が大学を卒業してから数年間、家でぶらぶらしていた頃のものだ。書いてあることは、中学生や高校生の頃に書いていたものからすると、ずいぶん平板で魅力にも乏しい(と僕には思われる)。作家になるぞと息巻いていた時と、自分自身の現実に打ちのめされた後の違いか。

 その後、僕もなんとか就職し、働き始めた。それからしばらくして僕の日記は終わった。生活が忙しくなり、書く時間がなくなったからだ。いや、どんなに忙しくなっても書きたい人は書くだろう。僕にとって書くことは、それくらいのものでしかなかったということかもしれない。それでも、少なくともこれらの日記を書いていたとき、僕にとってそれは日々を生き抜くために必要なものだった。それが正しいやり方だったのか、間違ったやり方だったのかは知らない。分かっているのは、僕は書くことで自分を保っていた、ということだけだ。