十二月二日

 結局、親に対して僕は怒っていると思う。親の言動を見て哀れに思ったり、嫌悪を感じたり、吐き気がしたりするけど、その根っこには怒りがある気がする。そんなに嫌ならさっさと出て行けばって、それができないのが僕の問題だけど、僕はやっぱりどこかで家族ってものに固着している。家族なんて幻想だし、自分にしても中学生の頃にはもうはっきりと親への気持は切れているはずなんだけど、どこかで理想の家族みたいなものを期待しているのかもしれない。理想の家族っていうのもよく分からないけど、親が抱いた家族像を子どもなりに受け取ったものだったりするんじゃないか。積極的に自分で作り出したというより、いつの間にか自分の中に刷り込まれたもの。だとしたら、親への怒りもそこに由来するのかもしれない。親が実現しようとして僕に抱かせた家族像と現実の家族とのギャップに対して僕は傷つき怒っているのかもしれない。しかも、親は自分が押し付けたことには無自覚だ。だから僕は親に裏切られたと感じているのかもしれない。でも、裏切られたって感じているってことは、一方で信じようともしてるってこと。信じようとするから裏切られたと思うし、怒りも感じる。僕は自分の中にある家族像をなんとかする必要がある。自分の中にある家族像を捨てることは、ある意味夢をあきらめるのに似ている。それがもともと自分で抱いたものではないにせよ。(2011.12.02)