三月十四日

 最近は母が元気なので、僕のしていることは皿洗いぐらい。以前、今より家事をしていた時に思ったのは、人が生きるというのはいろんなものを汚すことなんだということ。服、食器、机の上、部屋。生活しているといろんなものが汚れ、散らかる。自分の外にあるものばかりではない。自分の体も汚れる。そこでシャワーで流したり、湯船に浸かったり。だとしたら、と僕は思う。

 生きていると心や頭も汚れていくのではないだろうか。喜怒哀楽から嫉妬や心配で感情の塵が蓄積し、日々新たに飛び込んでくる情報や、子どもなら教育の名において詰め込まれる知識が堆く積み重なり、心も頭も散らかり放題、汚れ放題なんじゃないか。そういった精神(心と頭)の掃除というのはどういうものだろう。パッと思いつくのは、夢を見ることだったり、瞑想や座禅といったところ。あるいは表現活動もまた場合や方法によってはそうした働きをすることがあるかもしれない。

 

 チョコレート教の神様はチョコレート様です。チョコレート様はいつも世界中から最高の腕を持った職人をお供に連れています。

 世界中の人々は、チョコレート様の欠片を分け与えられています。チョコレートを食べると、日々の労苦を忘れ、甘い陶酔が訪れます。

 しかし、いいことばかりではありません。なかにはチョコレートなしでは生きていけなくなる人、仕事もやめてチョコレートを食べ続ける人もいます。そういう人の中には、やがてお金に困り、自殺する人や罪を犯してしまう人も出てきます。

(2013.03.14)