ざらざらした現実

    僕は今30代半ばだが、自分の人生はもう終わったものだと考えている。20歳になった頃には、本質的な意味での自分の人生はもうほとんど終わっていただろう。今僕が生きているのは人生ではなくて生活である。

    では、僕にとっての人生の本質的な意味とは何だったのかというと、それをうまく言葉にすることが僕にはできない。10代の頃、僕は詩人(もしくは作家)になりたいと考えていた。けっして読書好きではなかった。詩や小説が好きで作家になりたかったというよりは、文学の言葉の中に生とは何かを掴めるのじゃないかという気がしていた。結局、僕のその文学的な試みは中途で挫折して、僕はそのまま生活の中に埋没していった。

    今、僕は一応まともな社会人として生活している。だが、それは生きることの本質的な意味とは何の関係も無いことだ。

 

 ※本質的な意味と書いたが、そんなものはそもそも無いかもしれない。それは、あるいは本質的な問いといったほうがより正確かもしれない。今となってはその問いと格闘していた当時の自分のことをきちんと思い出すこともできない。