薄っぺらの善

悪なら手軽に深みを手に入れられる。悪はとても人間的なものだから。悪はそれ自体誘惑的である。対して、善によって深みを手に入れることはとても難しい。善を語る言葉は大抵薄っぺらい。彼らのほとんどは愛だの平和だのを謳いながら、その実自らの欲望の充足ばかりを願っているに過ぎない。彼らは善についてなにも知りはしないのだ。善は本来人間的な、あるいは理性的な領分にはない。善は人間を超えたものだ。宗教はそれを神や阿弥陀仏などの超越的な存在を使って、あるいはまた説話や呪術的な言語を使って語ることで、薄っぺらさを克服してきた。けれど、僕等が本当の平和を手に入れるためには、いつか善は万人に分かり得る言葉で語られなければならない。