2019-03-20から1日間の記事一覧

十一月三十日

「ほんとうの自分」だとか「ありのままの自分」なんてないのだろう。ただ「いまの自分」はあるように思う。 しつこい感情がある。ある以上、耳を傾けようと思う。分かったつもりになってしまわないこと。 (2011.11.30)

十一月二十九日

僕は権力を手にした子どもだろうか? だとしたらこんなバカバカしいことはない。 久しぶりに東海林さだお氏の本を読む。『ショージ君の時代は胃袋だ』 (2011.11.29)

十一月二十七日

重苦しい人々のあいだを僕は身軽に駆け抜ける。誰もかれもいらないものをため込みすぎて足を引きずりながら歩いている。僕は走る、跳ねる、踊る。軽快に、快活に。(2011.11.27)

十一月二十五日

僕は相手や状況を分析することで自分を守ってきた。これからは同時に「行為」する人間でありたい。(2011.11.25)

十一月二十四日

今ではもう不幸になる資格さえ失ったような気がしている。 家族の中で僕の担っている役割。もう僕に染み込んでいる役割。それを脱することが、あるいはそれをしっかりと自分の目で明らかにすることが、僕の自立の第一歩。(2011.11.24)

十一月二十三日

ポーの作品は喜劇的だ。(2011.11.23)

十一月二十二日

「ずっとむかしのことだが、私は一匹の猟犬と一頭の栗毛のウマと一羽のキジバトを失い、今でもその行方を探している。」ソロー (2011.11.22)

十一月二十一日

午後、S寺へ黄葉を見に行った。S寺のあとZ聖天へ行ったがお休み。途中見つけたB寺へ行った。B寺はわりと高いところにあって、気持のいい空気だった。直前まで曇っていたり小雨だったりした天気がうまい具合に晴れたのも良かった。B寺を出て、S寺(最…

十一月二十日

大人のイメージを持てない。だからいつまでも僕は子どものままだ。 自分自身に対してまとっている衣装を引きはがすこと。 (2011.11.20)

十一月十六日

道路にはガラスの破片が散らばっていた。ガラスは月の光に照らされてきらきらと輝いていた。僕は裸足で歩いていた。振り返ると、血で赤くなったガラスの破片が月明かりの下で綺麗だった。(2011.11.16)

十一月十五日

失くしたものはほんとうに失くしたんだろうか。それとも始めから持っていなかったんだろうか。失くすなんてことがほんとうにあるんだろうか。 繊細であることの醜さ。 (2011.11.15)

十一月十四日

拒否こそ始まり。(2011.11.14)

黄昏

夕暮の紫色の光が差し込んでいるアパートの一室。男が窓辺で熱心に書き物をしている。部屋の物は、時計を除けばみな沈黙し、薄暗がりの中で輪郭を失い始めている。なおも熱心にノートに向かっている男もいつのまにか影になり、今はもう部屋の内部は渾然とし…

十一月十二日

なんて生活! 僕は自分で自分を台無しにしている。(2011.11.12)

十一月十一日

もう分からない。自分が何を考えているのか。何を感じているのか。何をしたいのか。僕は死んでしまったんだろうか。もうダメなんだろうか。この先ずっとこのまま暮らしていくのだろうか? 表現することは、別に楽しくなくても苦しくなくてもいい。ずっと深く…

十一月八日

ろうそくの影の不安げな揺らめき。この部屋。(2011.11.08)