抜粋

 「考えるとか思うとかは、現在の一点から動いて、高い丘へ広い野へ低い谷へと一歩一歩歩きだして行く心なのだ。」

 「風のひどい日で、往来が広くなったように見えていた。」

 「毎日のくらしに織込まれて見聞きする草木のことで、ただちっとばかり気持がうるむという、そんな程度の思いなのである。」

 「嫉妬がバネになって、木の姿花の姿が目にしみたといえる。」

 「しきりに花が落ちた。ぽとぽとと音をたてて落ちるのである。落ちたところから丸い水の輪が、ゆらゆらとひろがったり、重なって消えたりする。明るい陽がさし入っていて、そんな軽い水紋のゆらぎさえ照り返して、棚の花は絶えず水あかりをうけて、その美しさはない。沢山な虻が酔って夢中なように飛び交う。羽根の音が高低なく一つになっていた。しばらく立っていると、花の匂いがむうっと流れてきた。誰もいなくて、陽と花と虻と水だけだった。虻の羽音と落下の音がきこえて、ほかに何の音もしなかった。」

 「(父は)そこは盛り土がしてあり、以前の表土の上に木屑や石くれが積んであるので、植えても木は枯れるだろうし枯れていく木を眺めていられるほど自分の神経は、むごくはないのだ、というのである。」

 

すべて幸田文の文から。(2010)