今日も最高の一日になりました、と言えない朝に。

 眠りたい。

 どうしようもなく眠かった。出勤しなければならないというのに。体は怠く、まぶたは重く、意志は薄弱だった。ただただ、眠りの底に沈んでいきたかった。言葉を発することも、手足を動かすことも、目を開けておくことすらも億劫だった。

 どんな前向きな言葉も、もはや自分には届かなかった。暗い停滞した気分で寝転んで、窓の外を吹き荒れる風の音に耳を委ねていた。

 今日は仕事に行きたくねーな、と思った。こんな気持ちのままでどうやって職場の人たちと接したらいいのだろう? そもそもちっとも頭が回りやしない。とてもじゃないがうまくやれる気がしない。前向きな気持ちにまるでなれない。などと、うだうだ考えていた。

 と、俺はふと思った。どうして、この暗い気持じゃいけないのだろう? 確かに前向きではない。でも前向きでいられないことを否定的にとらえる必要がどこにあるだろう? 暗い気持であることは後ろ向きであることとは違う。むしろそれは、見方を変えてみれば、静かな落ち着いた気分でもある。そうした気分の中でしか味わえない感情というものがある。そうした気分の中でしか感じ取れない世界というものがある。そのようにして感受する世界というものを肯定的にとらえてもいいのではないか、と。

 確かに、外に出れば暗い顔をしているわけにもいかない。それは会う人にも失礼というものだ。けれど、朝起きてまず「今日も最高の一日になりました!」などといったアホらしい呪文を唱えるよりは、ぼんやりした意識の中で自分の中に湧き起こるありのままの内なる言葉を心に記述するほうが、そしてその内なる言葉と対話を交わすことのほうがよほどまともに自分というものを作り上げていくのではないか、と思った朝。