尾形乾山の曲線

 昨日の夕刊に尾形乾山の晩年の乱箱の写真が載っていたけれど、その箱の内装に描かれた絵はとても僕の心を打った。波と鳥の絵なのだが、その波の曲線がとても素晴らしくて、あの曲線を70代だか80代だかで描けるというのが僕には新鮮な驚きだった。というのも、あのような曲線は青春にこそふさわしいと思い込んでいたから。あの曲線はビアズリーの描いた曲線のように美しい。24歳で死んだビアズリーの、若さゆえに描きえたと思われた線が、老人の手によって描かれているという不思議。

 けれど考えてみれば、青春というのはとても近代的なもので、学校時代に国語で習った日本の古典なんかには青春は顔を出さない。近代以前の芸術家像は、近代の芸術家像とはずいぶん違っているんだろう。

 学校時代の自分を振り返る時、その精神的な葛藤を僕は青春と呼びたいけれど、それは明らかに近代的な意味での使い方で、今日では青春という言葉を使うのはかなりためらわれる。現代はもう青春を失った時代だから。(2011.10.28)

 

 大和文華館へ乾山を見に行った。乱箱の線はビアズリーとはまるで違った。朗らかで無垢とさえいえる線で、眺めているだけで楽しく、こんな線が描けるなら年を取るのもいいと思えるような線だった。

 展覧会ではもう一人、青木木米の作品も置いていた。こちらはあまり期待していなかったのだけれど、思いのほかよかった。作品全体からいえば木米のほうに面白いのが多かった。木米の焼き物は形がシャープで美しい。細かい細かい字もいいし、水墨画にもいくつか面白いものがあった。(2011.11.01)