スケッチ

朝の通勤。俺は車を走らせていた。久しぶりに朝から日差しの強い日だった。信号待ちで並んだ車の列に俺も並ぶ。左手にある運送会社の倉庫前の空き地で中年男が何やら作業をしている。男は光を浴びながら黙々と作業している。俺は美しいと思った。その男がどんな男かは知らない。もしかしたらとんでもないろくでなしかもしれない。しかし、それは関係なかった。俺自身の過去を振り返れば、俺は生きるに値しない人間かもしれない。しかし、それも関係なかった。あるいは、この世は生きるに値しないものかもしれない。しかし、それも今はどうでもよかった。ただ、今、俺の目に映っているこの景色は美しかった。

目が覚める

夜明け前、目が覚めて、ぼんやりと天井を眺めていた。時々、その天井をカーテンの隙間から入ってきた光が、カーテンの隙間の形をした細長い光が移動していく。外を走る車のライトの光がどういう反射でか、そんなふうに室内に入ってくるらしかった。今、この夜明け前の部屋に寝転んで世界を感じている四十前の自分にとって世界は、自分がまだ子どもの頃と同じように未知で新鮮だった。そして、自分がまだ十代の若者であった時と同じように、人間はどうして生きているのだろうなどと考えていた。今、自分が持っている一つの答えは、生きているということそのこと自体が生きていることの意味だということだ。あるいは息をしているということ。いや、息をして食べて排泄する。それが人間である。であるなら、それが人間の存在の意義なんだろう。すべての存在は、存在すること自体がその意義である。目的は分からない。人間が存在していること、地球が存在していること、宇宙が存在していること、あらゆる存在が存在していること、ただそれだけであり、その目的は人間には永遠に分からぬことなのだろう。

墨を磨る(写経道場にて)

硯の陸に水を垂らし、墨を磨る。その静かなはたらき。墨と硯とこすれあう。快いわけでもなく、不快でもない、そのあわいの。透き通っていた水が、だんだんと重い粘り気のある液体へと変わっていく。